『 都政新報』、2017年10月10日号。論壇。8面。

罪深い大震法の「延命」

 日本の防災体制が音を立てて変わっている。いままで地震予知が可能だという前提で進んできたのが、「地震予知は出来ない」という方向に変わったのだ。

 日本の地震予知研究が国家計画として始まったのは1965年。以後、半世紀以上にわたって計画は続いているが、この間一度も地震予知に成功していない。

 その間1978年には東海地震を対象に大震法(大規模地震対策特別措置法)が出来た。世界でも唯一の地震立法だ。地震予知を前提に「警戒宣言」が出されて、新幹線や東名道路を止めるなど強制的な措置が行われることになった。

 だが、この十年来、地震学のほうでは、前兆があって大地震が来た例が世界的にあいまいになり、地震予知が出来ないことが明らかになってきてしまっている。

 阪神淡路大震災(1995年)や東日本大震災(2011年)でも地震予知が出来ずに大きな災害になってしまった。

 東海地震がその一部として起きる可能性が大きい南海トラフ地震で、まさか三度目の大失敗をするわけにもいくまい。このため、政府や気象庁は「地震予知が出来ない」ことを明らかにせざるを得なくなった、というのが実情なのである。

前兆が見つかったことはない

 だが、地震予知は出来ない、ということが明らかになったあとでも、じつは不思議な大震法の延命策が講じられている。それは「警戒宣言」に近いものを出して、それによって住民避難などが行なおうというという筋書きである。この延命策は、もちろん役所や研究者が今後とも潤い続けるためである。

 9月に行われた政府の防災会議で認められた有識者会議の報告書では、「地震予知は出来ない。大震法を運用するのはむつかしい」とした一方で、「前震や地殻変動などの異常現象に基づいて住民に避難を促す情報を出すといった新たな対策を検討する」ということになった。つまり報告書では、予知は出来ないと明確に宣言したものの、巨大地震につながる前震や地殻変動を観測した場合に住民避難をうながす仕組みを検討することや、地震・津波の観測体制強化を求めている。

 だが、これは科学的にはまやかしである。「巨大地震につながる前震や地殻変動」は世界的に見ても大地震の前に見つかったことはない。

 たとえば「南海トラフの東側で大地震が発生した」ときに、残りの西半分で続いて大地震が起きることを報告書は例に挙げている。「南海トラフの震源域の東側でマグニチュード(M)8級の地震が発生した場合、連動して西側でもM8級が3日以内に発生する可能性は96回のうち10回と推定し、短時間で津波が到達する沿岸地域の住民には発生から3日程度の避難を促す」とある。

 だが、続発しなかった例の方が圧倒的に多い。そもそも「96回のうち10回」とは、1900年以後に起きた地震を世界中で数えているものなのだ。しかも、いままで繰り返されてきた南海トラフ地震のような海溝型地震ではなくて、起きる場所もメカニズムもまったく異なる内陸直下型地震も含めている。それゆえ、次の南海トラフ地震にあてはまるかどうかは未知数なのだ。

 地殻変動も同じで、事前に警告が出せるほどの観測例は世界的にもなかった。

内陸直下型地震の危険性

 南海トラフ地震のようにプレートの境界で起きる「海溝型地震」はプレートが動き続けているので、予知は不可能でも、年々、地震に近づいていることは確かなのだ。

 だが、注意しなければならないのは、日本に起きるもうひとつの地震、「内陸直下型地震」については、どこに起きるのか、いつ起きるのか、まったく分かっていない地震であることだ。こちらは、予知が不可能なことがもともと分かっている。

 あいにくなことに、東京など首都圏では、日本のほか地方と同じに内陸直下型地震が起きるほかに、10万人以上の犠牲者を生んだ関東地震(1923年)のような海溝型地震も起きる。

 大震法が1978年に出来たあと、地震予知が可能だという政府の宣伝に乗って、日本中で大地震の前にはなにかの警戒宣言が出るはずだという印象が世間に広まった。そのときに起きてしまったのが阪神淡路大震災だった。

 それと同じように、地震予知は不可能だと認めながら「巨大地震につながる前震や地殻変動」を言いだして、大地震の前になにかの情報が出て、人々が守られるという幻想を植え付けたあと、首都圏など、南海トラフ地震以外のところが地震に襲われることが、むしろ心配なのである。大震法の「延命」はじつは罪が深い。

 この記事

島村英紀・科学論文以外の発表著作リスト
島村英紀が書いた「地球と生き物の不思議な関係」
島村英紀が書いた「日本と日本以外」
島村英紀が書いた「もののあわれ」
島村英紀の著書一覧
本文目次に戻る
テーマ別エッセイ索引へ
「硬・軟」別エッセイ索引へ