『青淵(せいえん)』(渋沢栄一記念財団)、2013年6月号。 27-29頁。

日本の「地球物理学的な」歴史

  日本の歴史の本は多い。しかしこれらの本に日本の「地球物理学的な」歴史について書いてあることはない。ここでは、地球物理学者として、あまり知られていないその歴史について見てみよう。

 地球は作られてから今日までに46億年あまりたっている。この46億年あまりを1日にたとえると、日本列島ができたのは、じつは、わずかに6分前なのである。つまり日本列島は、地球のなかでも、他の大陸などに比べると、ごく新参者なのだ。

 その「6分」より前には、日本列島というものはなかった。まだ、日本はユーラシア大陸の東の端の部分、つまり大陸の一部にすぎなかったのである。

 そして「6分前」つまり約2000万年前に、突然、その大陸の東の端にひび割れが走った。下からマグマの塊が押し上げてきて、プレートが割れた。

 その後、ひび割れはどんどん大きくなっていき、できたばかりの日本列島は大陸からしだいに離れていった。

 いま日本海の海底にあって、大和堆(やまとたい)とか武蔵堆(むさしたい)と呼ばれる深さ3500メートルもの深海からそびえている巨大な浅瀬は、その昔の大陸の端切れなのだ。

 日本列島が大陸から分かれて、間に日本海ができたために、日本海には南西から暖かい海流が流れ込んだ。対馬暖流である。地球は東向きに自転しているから、その自転の影響で、大陸のすぐ東側に大陸に沿った暖流が北上する。世界でも最大規模の暖流である黒潮も自転の影響で生まれていたが、そこから分かれた対馬暖流が、日本列島の誕生とともにこうして生まれた。

 そして、大和堆とか武蔵堆はこの対馬暖流と深海から生えている浅瀬のためにプランクトンが湧きやすく、魚の天国になっていて有数の漁場になっているのである。

 ちなみに、太平洋の黒潮と同じように、大西洋ではメキシコ湾流が西岸に沿って北上して北大西洋を横断して欧州に達している。このため、欧州北部では日本よりはるかに緯度が高いのに人々が暮らすことができているのだ。たとえば英国のロンドンは北緯51度と東京の36度よりも1700キロメートルも北極に近い。

 そればかりではない。私が行ったことがある北極海のスピッツベルゲンは北緯78度だが、そこにも多くの人々が定住して、立派な図書館やスーパーマーケットがある豊かな暮らしがあった。

 このように、地球の成り立ちは、現在の世界の気候を支配している。ちなみに初夏の梅雨も、インドプレートというインドを載せた大きなプレートが南極海から北上してきてユーラシアプレートにぶつかり、その結果としてヒマラヤ山地やチベット高原を作ったことが原因になっている。

 やはり地球の自転の影響で上空で西から東へ吹いている偏西風が、初夏になるとこの山地や高原にぶつかることによって南北二つに分かれ、それがはるか遠くの日本付近で再び合わさることによって梅雨をもたらしているのである。

 日本海の話に戻ろう。

 その後、不思議なことが起きた。約1500万年前に、日本海の拡大が終わってしまったのである。地球の歴史を1日にたとえれば「4分半」ほど前のことだ。つまり日本列島は作られはじめてから、わずか「1分半」ののちに作り終わってしまったことになる。

 そして、ここで事件が終わってしまったということは、日本の歴史に決定的な意味を持っているに違いない。もし日本海の拡大がこの10分の1の規模で終わっていたとしたら、どうだったろう。

 13世紀に2度にわたって日本を襲ってきた元寇(げんこう)も、もし日本海が狭かったら、やすやすと日本に攻め込んできたに違いない。

 いや、そもそも日本は大陸にあまりに近すぎて、もっと前から、日本より文化が進んでいた大陸の配下にならずに独立の国になることはおそらく不可能だったろう。近ければ、大陸との人の行き来や交易が容易に続いていたはずだからだ。

 他方、もし反対に、日本海の拡大があと数倍以上大きかったら、国としての日本はできたかもしれないが、大陸の国からの進んだ文化の流入もなく、私たちは腰蓑(こしみの)を着て、ヤシの木の下で暮らす民族になっていたかもしれないのである。

 じつは地球物理学では、日本列島ができた事件がなぜ始まって、なぜ終わってしまったか、はわかっていないナゾの事件なのだ。

 分かっていない最大の理由は、下から上がってきて日本海の海底を作ったマグマが、いまは冷えて固まってしまっているので、マグマの動きを知ることができないことにある。

 私が南極海に研究に行ったのは、この日本海のナゾを探るためであった。20年ほど前のことだ。南極には「日本海の赤ちゃん」がいることが分かりかけていた。つまり、下からマグマが上がってきて、南極大陸から分かれた島々を、いま、突き放しているところがあった。

 そこはブランズフィル海峡というところで、南米側の「西南極」、つまり昭和基地がある「東南極」とは反対側の南極だ。この海峡は南極と南シェットランド諸島の間にあり、その下にマグマが上がってきている。

 私たちはポーランド科学アカデミー地球物理学研究所とアルゼンチン国立南極研究所に頼まれて、私たちが開発した海底地震計を使って、この海峡の地下構造を調べる観測を行うために、南極まで行ったのである。

 観測はなかなか大変だった。

 毎日のように荒れるのに天気予報がない南極海の天気に翻弄され、流れてくる氷山に脅かされ、揺れる船で寒さに耐えなければならない日が続いた。

 しかし、ようやく得た結果では、このブランズフィル海峡の地下に、たしかにマグマが上がってきている姿が明らかになった。日本海の昔のありさまが分かったのである。

 しかし、日本海が拡大していったときの成り立ちは分かったが、その拡大が突然終わってしまったナゾは、まだ解けていない。私たちは、日本海の全部を知っているわけでは、まだないのである。

 日本人が日本に住み着いて約1万年。住み着いたときは日本列島はほとんどいまの姿になっていて、目の前に日本海が拡がっていた。日本海は魚の宝庫であり、また、日本の内外への交易の重要な海路でもあった。

 冬の卓越風である北西の風が日本海から蒸発した水蒸気を運んできて日本海岸に豪雪をもたらすなど、日本の四季に大きな影響を及ぼしている。日本に降る雪も雨も、大陸を出たときには乾いた風だったものが、日本海の湿気を吸って持ってきたものなのである。

 こうして日本列島は大陸から適当に離れて日本独自の文化を育み、自然から多大の恩恵も受け、また大きな影響も受けてきた。

 しかし、近年では人間活動が昔よりはるかに活発になって、人間の活動が地球に影響を及ぼすようになってきている。人間が排出する温暖化ガスによる地球温暖化。人間が発明したフロンによるオゾン層の破壊。西から偏西風に乗ってやってくる酸性雨やPM2.5のような微粒子。どれも人間活動起源のものだ。

 じつはそれだけではない。この冬がことさらに寒く、各地が豪雪に襲われたことも、また漁業の厄介者、エチゼンクラゲが少なくなったことも、人間活動の影響、つまり原発の影響ではないかという説もある。原子炉は熱力学の第二法則を超えることはできないから、発生した熱の3分の2を外部に捨てなければならない。発電に使えるのは3分の1以下なのである。東日本大震災以後、日本の原発が止まって、日本海の沿岸に多数がある原発からの膨大な量の温排水がほとんど止まっているための影響なのでは、というわけだ。

 私たちは私たちが住んでいる地球について、もっと知る必要があり、地球とともに生きる術をもっと考える必要があるのだろう。 


『青淵(せいえん)』いままでのエッセイ

14:世界一高い山『青淵』、2020年3月号。{3200字}。33-35頁。
13:
地球の中はダイヤがいっぱい 『青淵』、2019年2月号。{3200字}。29-31頁。
12:
世界の終末が遠のいた?『青淵』、2018年4月号。 25-27頁。
11:地球外に生命はいるのだろうか『青淵』、2017年3月号。{3200字}。28-30頁。
10:空は落ちてくるのだろうか『青淵』、2016年5月号。33-35頁。{3200字}
9:地球の丸さの世界初の測定『青淵』、2015年4月号。27-29頁。
8:地球物理学者にとっての「一日の長さ」『青淵』、2014年5月号。28-30頁。{3200字}。
6:南極の火事『青淵』、2012年5月号。16-18頁。{3200字}
5:人間の方向感覚、動物の方向感覚『青淵』、2011年4月号。 28-30頁。{3200字}
4:地震学者が大地震に遭ったとき---今村明恒の関東大震災当日の日記から『青淵』、2010年5月号。36-38頁。{3200字}
3:外から見た日本『青淵』、2009年6月号。19-21頁。{2500字+写真4枚}
2:アフリカの仮面の「眼」『青淵』、2007年12月号 (705号)。34-37頁。{3500字+写真6枚}
1:アフリカの仮面との出会い『青淵』、2005年5月号。12-14頁。{3200字+写真3枚}


島村英紀・科学論文以外の発表著作リスト
島村英紀が書いた「地球と生き物の不思議な関係」
島村英紀が書いた「日本と日本以外」
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