島村英紀『長周新聞』2012年1月1日号。6面{2400字}と2012年1月9日号。4面{2000字}

人はなぜ御用学者になるのか

 2011年3月の東京電力・福島第一原発の原発震災以来、原子力ムラ(近頃は原子力マフィアと言う)の御用学者たちがあぶり出されている。

 当初はNHKをはじめテレビや大新聞などのメディアでこれら御用学者たちが出演して、大した事態ではないと解説し、地元の人々の避難を遅らせて大量の被曝をさせたのだが、その後、それまでの「原発の安全神話」を作り上げてきたのも、これら御用学者たちだったことが明らかになってきている。

 しかし、じつは御用学者たちは、原子力ムラだけにいるのではない。1950年代から熊本県の水俣で、そして後に新潟県の阿賀野川流域でも多大な人体被害を生じた水俣病のときも、工場が廃水として流した有機水銀が原因であったことを熊本大学医学部の研究者たちが早くから指摘していた。

 だが当時の政府や国策企業(チッソや昭和電工)の意に添って原因をはぐらかせ、その結果、被害と人々の苦しみや差別を拡げてしまったのも、御用学者たちであった。いや、個々の御用学者たちばかりではなく、日本化学工業協会や医学会などの業界や科学者の組織も、組織を挙げて、徹底して有機水銀説を攻撃した。

 「アミン原因」説や「腐った魚を食べたのが原因」などと主張した清浦雷作教授(東京工業大学)や戸木田菊次教授(東邦大)らが、毎晩のように銀座で豪遊していたのも目撃されている。

 さて、ここで視点を変えて、政府や企業のほうからの視点、たとえば原発の導入を例にとって「作戦」を考えてみよう。

 なんとかして日本は核兵器を持ちたい(『岸信介回顧録---保守合同と安保改定』廣済堂出版、1983年)。では、どうするだろう。

 核兵器の原料を作るためには原発が必要である。しかし、そう言ってしまっては身も蓋もない。広島と長崎に原子爆弾を落とされた日本人の核アレルギーは強いから「正攻法」で原発を作るのは難しい。

 そこで、資源の少ない日本では原発が必要、原発こそ新しいエネルギー、という世論を作ることにした。ちなみに、地球温暖化を阻止するために化石燃料を燃すと大量に出る二酸化炭素を減らす、という口実も、近年、原発推進に大いに利用された。

 原発のためには金を惜しまない。東大や京大など拠点大学に原子力関係の学科を作って、原発の建設や運転に役立つ人材や科学者を育てる。

 じつは私の大学生時代は、こうして東大に原子力学科が誕生したときだった。駒場の教養学部から本郷の専門学部に進学するときに、原子力学科はとても人気が低く、誰も行きたがらなかったことを憶えている。

 これではいけない、と思ったに違いない。手厚い研究費が手当てされ、電力会社や原子炉開発を狙う電機メーカーも卒業生を優遇した。こうして原子力産業だけのための卒業生が育ち、原子力産業と密着した御用学者も、しだいに育ってきたのである。

 手厚い優遇策は原子力など工学部関係だけではなかった(註:下記の「追記」を参照)。地震国日本。活断層が縦横に走り、たびたび大地震に襲われる日本列島のどこに原発を作るにせよ、地震や津波の危険は避けられない。このため、原発建設が「経済的に引き合う程度の」地震危険度を見積もってもらってお墨付きをもらうための、地震学者たち、そして学会の抱き込みもぬかりはなかった。

 そのうえ、(じつは近年になって不可能なことが明らかになってしまった)地震予知が出来れば、不意打ちによる原発の被害も避けられる。そして、地震危険度がさらに「値切れる」わけなのである。なお、地震学会は阪神淡路大震災のときは声明ひとつ出せず、東北地方太平洋沖地震のときも半年以上遅れて、形だけの「反省会」を開いただけだった。

 こうして、たとえば某市の盛り場では、ある大学の「推進側」に属する工学部や理学部の先生方が行けば無料になるバーがあるなど、手厚い研究費を「公」とすれば「私」の面でも、ぬかりない配慮が行われていた。

 科学者がそんな簡単になびいてしまうものか、と思われる読者も多いかも知れない。

 私がかねてから著書などで主張しているとおり、最前線の科学者は孤独なものなのだ。競争相手、つまり敵はまわりにいくらでもいる。同じ研究をしていても、見たこともない相手が一歩先に発表してしまえば、それまでのすべての研究は無駄になる。科学者とは孤独な闘いを、一生、続けなければならない職業なのである。

 かといって、研究のテーマを転々と変えて、そこで業績を上げるほどの能力がある科学者は、ごく一握りしかいない。そのうえ原子力関係の研究では、外国が何歩も先んじていて、日本で研究してもその学問で一流になれる見込みはない。

 それゆえ、他の分野の科学者と違って、研究の成果を求めるという努力なしに得られる潤沢な研究費と大学での地位は麻薬のような魅力がある。甘言を弄して近づいてくる政府や企業は、孤独な戦場でのまたとない救いなのである。夜の飲み代まで払ってくれるのならば、簡単に「墜ちて」しまうこともあるだろう。

 同時に、かりに原子力に否定的な研究をしようとすれば、地位も研究費も危うくなるから、研究とその成果も自ずから時流に沿ったものになる。

 それだけではない。研究面で業績が上がらなくても、政府の審議会の委員になれば、名誉欲がくすぐられ、対外的な信用だけではなく、滑稽なことに大学内での評価も上がりやすい。大メディアの記者が喜んで委員になるのと同じ、これも麻薬なのである。

 かくして、学問的には二流、三流の科学者が生きる道が拓かれる。御用学者は安泰なのである。国策に反旗も翻さず、大過なく務めれば、定年後には会社や業界団体の職も与えられようし、いずれ勲章ももらえることになろう。

 こうして御用学者が育ち、「作戦」は狙い通りの成功を収めてきたのであった。


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【2013年1月追記その1】この、企業や政府寄りの学者の例は、他の業界にもたくさんあった。たとえば、ホンダN360の欠陥などを描いた伊藤正孝『欠陥車と企業犯罪----ユーザーユニオン事件の背景』(もともと三一書房、のちに現代思想社の現代教養文庫に収録)には、ユーザー側から裁判所を通じて鑑定を依頼された大学の自動車工学の先生たち(大阪地裁からの依頼は、東大生産技術研究所の平尾収、同・亘理厚、東京工大(のちに日本自動車研究所長)の近藤政市、芝浦工大の小口泰平、別の訴訟で広島地裁からの依頼は広島大学、広島工大、大阪大学などの先生たち)が多忙などを理由に断りながら、同時にメーカー側の証人には都立大の川田雄一教授らが名前を連ねているさまが描かれている。


【2013年1月追記その2】上記のようにチッソべったりの清浦雷作教授は東工大教授だったが、他方、新潟水俣病の原因者であった昭和電工鹿瀬(かのせ)工場の無罪を、塩水楔説ででっちあげた北川徹三教授も、横浜国大に安全工学科を作った”権威”だった。


【追記】地震学者が御用学者になる理由

社会は「危険な科学」を規制できるのか

 一ヶ月ほど前、読売新聞に「鳥インフル論文、テロ懸念で米誌掲載見合わせ」という記事が出ていた。

 その記事は「強毒性の鳥インフルエンザウイルス「H5N1」に関するオランダと日本などの研究論文2本について、米科学誌『サイエンス』が生物テロに悪用される危険を理由に掲載を見合わせていることが分かった。

 オランダの論文では、H5N1の遺伝子を五か所変異させると人間同士での感染力をもつことが説明されており、同誌を発行する米科学振興協会は生物兵器開発の参考にされると懸念している。(中略)

 同協会によると、オランダ・エラスムス医療センターのチームが、人間への感染力を生み出す変異を発見し、遺伝子を組み換えたウイルスを作製。人間と似た反応を示すフェレットの感染実験にも成功したという。(2011年11月30日 読売新聞)
」というものだった。
 ここには、科学と社会についてのいくつかの問題が凝縮されている。

 ひとつは、科学者がやっている研究は、善悪、どちらにも向かう性質を持っていることだ。たとえば病気の治療薬のように、人類や世界にとっての有用な研究成果を得たものもあるし、核兵器のように、忌むべき結果に結実したものもある。

 じつは科学研究のほとんどは、人類にとって、直接には毒にも薬にもならない研究である。善悪、どちらに向かうにせよ、その研究の多くの初期部分では、将来どう使われるのかわからない純粋な科学として、たとえば核兵器は素粒子物理学の研究として進められたものだ。

 はじめに引用した記事も、この研究段階までは、純粋な科学研究として進められたものにちがいない。鳥インフルエンザウイルスがどんなものか、どううつるか、を研究している段階で、このような研究に進んでいくのは十分にありうることだ。

 しかし、この発表をストップすることで、たとえば、この科学者たちだけではなく、発表されることで刺激を受けた他の科学者が同じような研究を進める可能性が閉ざされてしまう。そして、鳥インフルエンザウイルスや、その変異したウイルスが人間にうつることを防ぐ新薬や新しい治療法の研究も、とまってしまう可能性があるという問題がある。

 科学者がやっている研究を、他から制限することは、今回のように科学雑誌や学会への発表をさせないことでもできるかもしれないし、研究費を絞ってしまうことでも可能かもしれない。

 しかしもうひとつの問題は、誰が、どういう判断をして科学研究をストップさせることができるのか、ということだ。

 ある国の政府だろうか。しかし、独裁者が牛耳る政府はいうまでもなく、日本のように、自ら考えることも国としての哲学もなく、対米従属だけの政府では、ちゃんとした判断ができるかどうか疑わしい。

 では学会や科学者の団体だろうか。じつは、これも疑わしいのである。前回に述べたように、たとえば日本地震学会は原発推進機関のひとつに成り下がっていたし、水俣病の原因を隠そうとしたのも医学会だった。弟子が教授の名誉欲のために選挙運動を繰り広げる学術会議も似たようなものだ。

 科学は、たとえば芸術と同じように、それを理解し支えてくれる社会の一部、つまり広範で総合的な文化の不可分の一部のはずである。ともすれば科学や技術が、他とはかかわりがない独立した文化だと考えられているのは間違いである。社会が、そして一般の人たちが、科学と文化、科学と社会についてはもっと考えたり発言したりすべきなのである。

 このためには、まず、科学者からの発信が不可欠である。科学者が、それぞれの専門の領域で取り組んでいる研究の内容やその最新の成果について、一般の人や社会に説明すること、つまり科学から社会や文化へのフィードバックが必要なのである。これは、科学を支えてくれた社会や文化に対する領収書でもある、と私は考えている。

 科学からのフィードバックと同時に、文化や社会から科学への健全なフィードバックも必要である。この双方の働きかけがなければ、科学は独走していびつなものになってしまう可能性が大きいのである。

 もちろん、ここでいう文化とか社会とは特定の狭いものを指しているのではない。ある国のある政治体制のために特殊な兵器を開発したりすることは論外で、ここでいう健全なフィードバックとは似て非なるものである。


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